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ぴんく☆ふぇっへ凛
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つむじが性的おばさん

熟女を描くときは髪の毛のシナシナ感が大事だなァ…と思ったり思わなかったり。熟女つむじはちょっと肌色が見えちゃってるぐらいがエロいですね。 思いっきり抱き合いながらセックスしたら時々鼻先に甘い匂いのする熟れたつむじがワサワサ当たる感じが良いのだ。 最後のスケッチは大晦日の日付変更直前に立ち寄ったローソンで買った無印グッズ。デザインが素朴でカワイイ。 文具画材に限らず、アンテナに引っかかった事物はなるべく咀嚼吸収するようにしています。 * 自分の中で絵画論的なアレコレが何周もしてしまったので、今現在は「いい意味で無味無臭な絵」もアリだなぁって思っています。それもあって今回のイラストは滅茶苦茶に素直な絵ですね。 柳宗悦的な素朴な美意識に回帰した感じです。 厳密には柳宗悦と岡本太郎のハイブリットでしょうか。 自分はアカデミズムやモダニズム、ポピュリズムの虚しさにはとっくの昔に気付いて以来別の方向性を模索してきました。一方でアヴァンギャルドやカウンタームーブメントにもどこか違和感を覚え、居場所を見出せませんでした。 これは(意外な事に)かの岡本太郎すらも指摘していた事ですが、アヴァンギャルドをやるぞ!と意識してしまうともうその瞬間からアヴァンギャルドは手段から目的となり、自由は不自由となり、結局は権威主義に堕していくんですよね……。 加えてアヴァンギャルドの虚しさはもう一つあって、人間はやはり所詮ホモサピエンスという動物に過ぎないのであり、動物である以上は普遍的に(生物学的に)好む要素が存在します。 個々人によって多少の好みはあれども生物学的な要因から来る「こういうのが気持ちいい」「こういうのは気持ち良くない」は確実に存在するわけです。 アヴァンギャルドはこの冷たい現実から無理に目を逸らしているように見えます。 時代時代のクリエイターや自称“通”(或いは活動家や宗教家)が必死に「今は“こういう作風”が斬新であり最新なのだ!もう”ああいう作風“は古く、価値が無いのだ!」と主張してポジショニングを図ってきたにも関わらず、結局は未だにクラシックはクラシックとして君臨しています。 (古いクリエイトよりも格上であると「先進的でセンスのいい人々」が主張する)最新のクリエイトがなぜクラシックを駆逐出来ないのかというと、それは上述したようにクリエイトには普遍的にウケやすい要素が存在しているのであり、クラシックはソレを高い次元で満たしてくれるからでしょう。 自分もコンテンツは相当に消費・研究してきたと自負していますが、結局「小手先ばかりの中途半端な今日のコンテンツを観るぐらいなら上質なクラシックを観た方がいい」というひどく冷淡な結論に(自身が作り手であるにも関わらず)行き着いてしまいました。 そこを考え抜いていくと、岡本太郎やピカソ的に悪戯に過去や権威、技巧を否定してアヴァンギャルドをするのも、やはりどこか滑稽な気がします。 勿論、時代に無批判に迎合するのも滑稽です。 時代に媚びずアヴァンギャルドに媚びず、何処にも属さず何者にも非ず、真に素朴で素直なクリエイト。結局それが芸術の最終形態なのかな~って今現在は思います。 とは言っても自分はそもそもが特殊な人間なので、作った作品が意図せずアヴァンギャルドっぽくなってしまう事はあるかもしれません。でもそういうのも含めて今後はもう小難しく考える必要は無いかなって思います。 気ままに作品を作った結果、それがクラシカルになったらその時はその時だし、プログレになったらその時はその時だし。 「クラシカルな自分は自分らしくない」とか、「プログレな自分は自分らしくない」とか、いちいち考えなくてもいいかなって思います。 それが本当の意味での「アートは自由だ」なんではないでしょうか。 おわり♨

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