雑記 技巧とお絵かきについてアレコレ
Added 2023-09-10 04:52:59 +0000 UTC※前回のバイトの絵のキャプションとして書き始めた文章なんですが無駄に長大になったので暇な人だけが読んでくれたらいいや…ってことで作品ページとは分離させて、「雑記」として単体で投稿します。
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わりとゴテっとした塗りも好きなんですが今回はアッサリ塗りで。フルカラー漫画が描きやすい塗りの研究もかねてます。イラストと違って漫画の場合は塗りに凝り過ぎると画面がウルサクなる気がするし、単純に作画作業に忙殺されてしまうので。
あとは人類普遍の原則として技巧や枝葉末節に凝り過ぎると早晩滅びるってのがあって、それもあってピカソや岡本太郎などは技巧を捨て去ったわけですが、自分も彼らと基本哲学は同一なので割と技巧は身に着けるよりも捨て去る方が好きなタイプです。
隆盛を誇り過ぎて却って息切れの感のある今日のハリウッド映画やその轍をトレースするゲーム業界、末期のローマ帝国や往年の日本大企業群などもそうなんですが、物事が発達して複雑になるとヒトはその狭い世界における技巧や専門知識、政治力の獲得に忙殺されてしまい、本質を学ぶ時間を喪失してしまうようです(リベラルアーツの喪失、アサビーヤの喪失)。
物事が複雑化し学ぶべき知識が3倍になったからと言って一日は24時間なままなので、当然と言えば当然です。その結果どんどんガワばかりがゴージャスになっていって、内実の薄っぺらい物(者)が跋扈し始めて、その結果滅びるという…。
何が言いたいかっていうと、要はアレントが指摘した悪の陳腐さ云々、アイヒマン云々と一緒です。
そうした見飽きた現象が今や成人漫画などの二次元ポルノも含めた漫画・アニメ業界をも覆い包もうとしていますが、自分としてはそういった潮流に(人文学の見地から容易にその行く末が予測できるにも関わらず)敢えて迎合する意味はないかなーって思います。
内需の乏しさに起因する競争の激しさや外貨獲得への飢餓感などからか技巧合戦に躍起になりがちな韓国系中国系の絵師などを見ていても、その献身自体は純粋に素晴らしいなーとは思うのですが、でもそれと創作の本質は別だよなぁとも思います。
(中韓クリエイターが技巧を好み易い(ように自分には見える)のは恐らく単に文化的な側面もあるとは思うので、それは本文のテーマとは別次元の話題ですが…)
最近U-NEXTで古い映画やアニメばかりを観ているのですが、古い作品は作りが簡素だからこそ作り手が技巧に縛られていなくて、色々とガバガバなんだけど発想が豊かで、エネルギーがあります。
その結果として様々な魅力的で野心的なIPが生まれたんだろうと思います。
手塚治虫にせよあの旺盛な創作力が量産に向いた簡素な画風に支えられていたのは言うまでもありませんし。
業界初期にはガンガン有力IPが生まれるのに業界が発展していくと(技巧の伸長とは裏腹に)新しいゼロからの発想が生まれづらくなり、既存IPの流用やリメイク、刹那的に消費される新作ばかりになりがちなのは、きっとこういう仕組みだろうなと。
そんなわけで自分はもうちょい技巧や世間の強迫的な競争からは離れて創作していきたいなと思います。あと自分の画風の場合、あんまりにも技巧を突き詰めると写実的になりすぎて絵としてつまらなくなる可能性も高いですし。
あと、この手の話題だと今度は個性の過大評価に走ってしまって悪戯にアナーキズムや回帰主義、「個性的な画風」に傾倒してしまいがちなのですが、自分はニューエイジ思想にも「個性的な画風」みたいなのにも興味はないし。むしろいい意味で普通過ぎる方が好きというか。この辺はピカソや岡本とは異なるかも。
そんな感じで。以上。怪文書おわり。